普通さについて
「普通」ということについて、大学時代からの腐れ縁の子と先日電話で話していた。
テーマは常識や普通という感覚(空気とも呼べると思う)がわからないというものであった。
その子は典型的な発達障害(ASD優位)を持っており、私も比べると軽度だとは思うが発達障害(ADHD優位)を持っている(これは最近受けた心理検査でわかった)ため、このような話を好んでするのは必然的である。
そのときの私の意見について以下に整理してみた。
・空気の実体は見えないが、周りの人(健常者と呼べばよいか)は何かしらの普通基準を持っており、その物差しで人間と異常者の判別をしているのは感覚的にわかる。
・但し、それは宗教のように絶対的な規範ではないから具体的になんなのかがわからない。私はその暗黙さ、不明さが極めて恐ろしく感じるため、周囲の行動をみて、この人たちが他人を人間としてみるラインみたいなのは注意している。
・人間と異常者との判別について、私は口には決して出さないが、真人間の判断基準と呼んでいる。
・このような極めて暗黙的なルールの中で真人間判断をする人たちを、私は無自覚の狂気と呼んでいる。
もし、このような話が好きな人がおられたら、お酒でも飲みながら語り合いましょう。